まさに、蕩けるような

こんばんは。

かざねっこです。

本日の題名は

「まさに、蕩けるような」です。

ごゆるりとお付き合いいただけると

嬉しいです。

 

その日は

主人の仕事が

お休みだった。

私はその日

ちょっとした

手土産が必要で

なので、主人&末っ子を伴って

買いに行ったのだった。

買ったのは

わらび餅。

近くの商店街に

わらび餅の専門店が

できたのだ。

「家用にも買う?」と

主人に尋ねると

「一度、腹一杯

 わらび餅を食べてみたい」

と宣う。

腹一杯。

それは凄いな、と思う。

私は

少し甘いものが

苦手だから

お腹一杯になる前に

気分が悪くなる気がする。

 

お店に入って

先に手土産用の物を選んで

それから、主人に

「我が家はいくつ買う?」

と聞く。

主人は「一つ」と答えたから

「一つだと、子供達も

 わらび餅が大好きだから

 そんなに食べられないよ」

と助言すると

「少しでいいや」

と言う。

さっきの意気込みは

一体どこへ消えたのだろう。

 

わらび餅の入った

袋を受け取って

お店を出る。

袋の中を覗きながら

わらび餅を食べるのは

久しぶりだな、と思う。

 

初めて食べた

わらび餅は

あまり美味しく

なかった気がする。

確か、お祭りの

屋台で買ったのだ。

ちょっと、水っぽくて

澱粉が固まったような

なんとも言えぬ

触感だった。

 

二度目に食べたわらび餅は

母の手作りのものだった。

母がわらび餅粉を

買ってきて

家で練ってくれたのだ。

これが本当に

美味しかった。

ぷるっぷるで

こしがあって

手作りだから

甘さもちょうど良くて。

一度ですっかり

嵌まった私は

それ以来

毎年、夏になると

わらび餅を家で

練るようになった。

ただ、この

わらび餅を練る

という作業を

暑い夏場にするのは

かなりの重労働だった。

火の点った

コンロの前で

ただ、ひたすら

鍋の中のわらび餅を

焦げぬよう気をつけながら

木べらで混ぜ続けるのだ。

しかも、初めは

さらりとした生地なのに

次第に粘りが出てきて

そうなると、あとはもう

木べらをぐっと握りしめ

時に手の痛みに耐えながら

額に汗を光らせて

ただ、ただ

混ぜる

混ぜる。

 

そうして、

出来上がったわらび餅は

温かいままでも

美味しくて

ついつい

手が伸びてしまうけれど

それをぐっと我慢して

しっかりと冷やしてから

いただくと

さらに、コシが出て

美味しくなる。

作る作業は

大変だけれど

食べるのは

あっと言う間。

それでも

やっぱり美味しくて

ついつい作ってしまうのだった。

 

結婚してからも

何度か作ったことはあった。

けれど、今は

作るということすら

忘れていた。

 

おやつの時間。

皆で頂く。

一つ一つが

おおぶりで

箸で取り分けようとすると

柔らかくて

なかなか掴めない。

子供達は二つずつ。

私は一つ。

一個でも十分に

大きなサイズ。

流石に一口では

難しそうだから

二つに切り分けようとするも

これもうまくいかず

周りのきな粉が

お皿から零れそうになる。

ようやく切り分けた

一つを頂く。

箸で摘むと

とろんと下に

垂れてゆく。

口の中に放り込む。

お餅のはずなのに

舌の上でとろりと

溶けてゆくような感覚。

そして、甘い。

すんごく、甘い。

甘いけれど

この柔らかさは

心地よくて

自然と口元が

緩んでゆく。

 

私が昔好きだった

わらび餅とは

全く正反対の

わらび餅。

 

隣で一緒に食べている

上の子が

わらび餅を一口

頬張るたびに

「わらび餅、サイコー!」と

蕩けるような笑顔で

絶賛していて

そんな様子を

眺めていたら

なんだか目元まで

緩んできた。

 

幸せだなぁと思う。

まさに

蕩けるような

ひととき。

 

 

 

最後までお付き合いいただき

ありがとうございました。