変わり映えのしない日常から抜け出したくて、赤飯を炊く
おはようございます。
かざねっこです。
本日の題名は
「変わり映えしない日常から抜け出したくて
赤飯を炊く」です。
ごゆるりとお付き合い頂けると
嬉しいです。
と、ある休日
お昼ご飯に
赤飯を炊く。
赤飯というと
『お祝い事』
というイメージが
強いけれど
我が家では度々
赤飯が炊かれる。
理由は
主人が赤飯を好きだから
というのに加えて
私が日々のお昼ご飯に
飽きてきたから。
夏休みに入ってから
平日も休日も皆
お昼ご飯が必要で
もっぱら、最近は
主人のお弁当に合わせて
子供達のお昼ご飯も
おにぎり又は白ご飯
+野菜を主体としたおかず色々
のパターンが主流になっていて
勿論、おかずは
毎日変えているのだけれど
どうやら、私はその
大枠のパターンに
飽きてしまったようだった。
それで、おかずではなく
ご飯をいつもと違うふうにしよう
と思ったわけだ。
たまたま棚にあったのは
賞味期限切れの大納言。
いい具合に目が合って
さらに、子供が
「おぜんざいを食べたい」
と言っていたのも思い出して
ならば、赤飯と一緒に
おぜんざい用の餡も作ってしまおう
という考えに至ったわけである。
とりあえず
お昼用のおかずを作り終えたあとに
まずはコトコトと
大納言を煮ることにした。
床掃除をしたり
洗濯物を干したり
他の家事の合間に
時折、豆の煮え具合を確認する。
うっかり調理していることを忘れて
焦げてしまわないように
火を弱めにしておくと
豆は固いままだし
火を強めにすると今度は
豆の具合が気になって
何度も見に行かねばならず
他の家事がうまい具合に進まない。
さらに、家の中を動き回っているか
火の前にいるかだから
汗が滴り落ちてきてしょうがない。
なんで、よりにもよって
こんな暑いときに
作るのかしら、私。
そんなことを考えていたら、ふと
義母に赤飯を持って行った時のことを
思い出した。
私は時折、自分の作った手料理を
義母に持ってゆくことがある。
それで、前に一度
赤飯を炊いたときに
義母に持って行ったのだ。
そしたら、義母に
「育児で毎日大変なときに
(お祝い事でないにも関わらず)
わざわざ、お赤飯を作るのは大変でしょうに」
と気遣われた。
一応、お赤飯は
時間にまだ余裕がある
休日にしか炊かない。
けれど、だからといって
わざわざ手の掛かる料理を
作る必要はないんじゃないかしら
義母の言葉を思い出したら
段々、そんなふうにも
思えてきたのだけれど
その一方で
それに勝る思いが
私の中にあることに気づく。
変わり映えのしない毎日は嫌。
それは、例え、料理であっても。
自分の担当領域のことならば
尚更。
どうやら、私はそのために
今、お豆を煮ているらしい。
自分で言うのも難だけれど
本当に難儀な性格だと思う。
適度にお豆が柔らかくなったところで
赤飯用の豆とおぜんざい用の豆に取り分ける。
赤飯用のお豆は
もち米と少々のお塩
豆の茹で汁と一緒に
炊飯器に入れて
おぜんざい用の豆は
さらに柔らかく煮ることにする。
前回、一度
小豆で餡を作った時に
ゆっくりと煮えるのを
待っていられなくて
粒がざらざらとした
豆感の強い餡に
なってしまったことを踏まえて
今回はもう少し気長に待つ。
そして、指で軽く押すと
潰れるくらいのところで
火を止めてしばらく蒸らす。
再び火をつけ
砂糖と塩を投入。
さらにコトコトと煮て。
出来上がり。
赤飯はあっという間に
家族に食べられた。
末っ子も完食。
主人にいたっては
「やっぱり、赤飯はおいしいね」
とホクホク顔だった。
そして、おぜんさい用については
しっかり冷蔵庫で冷やしたものを
少し味見。
冷たさと相まって
舌にしんとくる甘さが憎い。
なかなかに美味しく出来上がっている。
早めに子供達のおやつに出そう。
なんだかんだといって
赤飯を炊いたところで
目に見えて何かが変わる
などということは
ないのだけれど
だからといって
変わり映えのしない日常に
ただ流されるままにも
なりたくなくて
時折、こうした
ささやかな抵抗を
繰り返している。
最後までお付き合いいただき
ありがとうございました。