緩やかな忙しさがいい

夏風邪が長引いている。

症状が治まってきた

と思っていたら

二日前くらいからまた

喉が腫れぼったくなってきた。

仕方ないので

昨日の夕方に

耳鼻科へ行くことにした。

上の子も一緒だ。

お互い、治りが悪い。

空いていたので

今回はすぐに診てもらえた。

上の子には抗生物質

私には前回とは違う漢方が

処方された。

そして、いつものように

喉に薬を塗ってもらう。

Bスポット療法というらしい。

前はそこまで滲みなかったのに

今回は長引いているせいだろうか。

塗られた瞬間に

バチンッと目の前に

火花が散った気がした。

何回か喉を擦られるように

薬を塗られるのだけれど

それがもう

悶絶するような痛みで

気付けば

足で床を何度も踏み付けていた。

施術が終わり

半泣きの状態で

ネブライザーをしていたら

隣に座っていた上の子に

「大丈夫?」と心配された。

とてもじゃないけれど

『大丈夫』とは言えず

痛い・・・と漏らしたら

「ママは偉いよ。

 自分だったら、我慢できずに

 床にごろごろ転がっている」

と慰められた。

子供が一緒にいてくるのは

頼もしい。

けれど、やっぱり

痛いものは痛くて

その後もしばらくの間

くすんくすんと

鼻を啜っていた。

 

おはようございます。

かざねっこです。

本日の題名は

「緩やかな忙しさがいい」です。

ごゆるりとお付き合いいただけると

嬉しいです。

 

夏休みに開催している

子供のプール教室で

再開して以来

友人と緩やかに

メールのやり取りをしている。

友人についてはこちら↓

 

kazanekko.hatenablog.com

 

 

夏休みには行ってから

お孫さんの面倒や

習い事の送迎

食事作りなど

文面から察するに

我が友人は

相変わらずのご活躍ぶりで

毎日、忙しそうである。

ただ、その中で一点だけ

気になることがあった。

それというのが

友人はちょこちょこと

色々な場面で

小さなミスをしたり

思うように

動けなかったりするようで

そのことについて

『私も、もう歳なのかしら』

などと、珍しく

気弱なことを書いていた。

その文面を読んで、率直に

『歳』というよりも

この暑い中で、朝から

お孫さんの面倒やら送迎やら

ご主人と一緒とはいえ

動き回っている状態で

当然、疲れも出てくるのだから

なにかしらドジを踏むのは

仕方がないのではないか

というか

私の歳でも

そういうことは

しょっちゅう、あるぞ

と思ってしまい

 

それは『歳』のせいではなく

単なる『働きすぎ』で

私の母をもう少し見習うといいですよ(笑)

 

と送った。

友人は私の母のことを

私の愚痴を通じて知っていて

その後のメールで

「そうですよね」と

少し気力を取り戻されたよう。

その歳でという言い方は

失礼に当たるかもしれないけれど

本当に精力的に動かれて

すごいと思う。

そして、娘さんのことを

少し羨ましいとも思う。

 

私は結婚する前から母に

「私は孫育てはしない。

 だから、子育ては義母としてね」

と言われてきたし

子供が生まれてからも

「お互い、相手に迷惑を掛けないように

 生きていこうね」

と念を押された。

なので、なるべく

子育ては夫婦で

難しい場合は

義母を頼っている。

主人は私から

初めて、母の話を聞いたとき

「そう言っていたとしても

 それは、きっと照れ隠しで

 実際に孫ができたら

 変わるんじゃないかな」

などと、楽観的なことを宣わっていて

それを聞いた私はなぜか

(あくまで、私の所感です)

主人はきっと

親の愛情を無条件に

信頼しているのだなぁ

などと思ってしまった。

ただ、それは残念ながら

我が母には通用しない。

母は言葉通りに実行する。

そういう意味での信頼だけは

ある。

そして、実際に

その言葉通りの状況に

なっていることに対して

「本当に、こんなことがあるんだね・・・」と

なんとも信じ難いように

時折、漏らすのだけれど

あらかじめ、私は

そのことを

ちゃんと貴方に

伝えていたし

世の中には本当に

色々な人がいるのよ

なんて、思ってしまう。

そんな我が母も

最近、学生時代の友人たちと

度々会うようになり

ご友人方も皆さん、

お子さんが結婚して

孫が生まれて

という同じような状況にあるようで

その中で必ず話題の一つとして挙がるのが

『孫育て』に関すること。

そして、母曰く

母のご友人方は

それはそれは

かいがいしく

お孫さんの面倒を見たり

色々と援助されているそうで

それをどうとは別に思わないし

もはや期待もしていないのだけれど

ただ、周りに流されず

「本当にみんな、偉いわよね~

 私は到底、真似できない!」

などということを、わざわざ

三人育児で疲れきっている

実の娘に堂々と

言ってのけるところは

すごいと思う。

 

私自身

育児については

一人目で相当苦労した。

多分、初めてに加えて

その子の性格というものが

私とは全く異なっていて

言葉が通じない中で

その部分を理解することが

なかなか出来なかった。

そして、二人目。

この子がまた

両極端で

二人目でしかも

私にとっては

あまりにも育てやすかったから

気付けば、あっという間に

手が離れてしまって

少し余力を残して

育児が落ち着く

そんな感覚だった。

それが、三人目を生んだ今

もう、存分に

育児をさせてもらっていて

もう十分!

お腹いっぱい!

という感になっている。

それで、そのことを

何かの折に、ふと

義母に話してみたら

「なに言っているのよ~、かざねっこちゃん。

 これからは、『孫育て』の時代よ!」

などと言われたから、思わず

「ぎょえっ」と声が出た。

今は出来れば

考えたくない。

正直、我が友人や

母の友人達のようには

できる気がしない。

ただ、だからといって

「しない」という選択は

今のところは

ないと思っている。

子育ての大変さも

助けてもらえるありがたさも

身に染みて分かっているから。

そんなことを考えていたら

ふと、子育ての

忙しい時期と

落ち着く時期

それらをくっつけて

混ぜ合わせて

同じくらいに

均してしまえればいいのに

と思ってしまった。

今は今で

泣きそうになるくらい

忙しいときもあるし

余裕がなくて

怒ってしまうこともあるし

でも、この騒がしい毎日に

慣れてしまったら

子供達が離れていったときに、きっと

寂しくなってしまうんじゃないか

と思ってしまう。

だから、まあ

これはただの願望だけれど

緩急激しく

忙しいのじゃなくて

緩やかに忙しい

そういうふうに

子育てができればいいのにな

などということを

最近、ずっと考えていて

全部話すのは面倒なので

主人に

「今は子育て大変だけれど

 大きくなったら、寂しくなるよね・・」

とだけ、漏らしたことは

あったのだけれど。

 

これは多分

というか、全く

意図していなかったと思う。

ある晩のこと。

夕飯を食べているときに

子供達がごはんを

「美味しい。美味しい」

と言いながら食べていて

それを聞いた主人が

「君たち、これだけの御飯を作るのは

 大変なんだぞ。そして、それは、きっと

 君たちがこの家を出て行ってから分かる」

というようなことを言った。

そしたら、子供達が

「別に、大丈夫だも~ん」

と返した。

その答えを聞いて私は

そうか、この子たちは

私から離れても

ちゃんと自分たちで

御飯を用意できるのだな、と

頼もしく思う半面

少し寂しくなった。

そしたら、その後

子供達はこう宣わった。

「だって、出て行っても

 ママの近くに住むもん!」

「そうだよね、子供達も一緒に

 連れていこう」

なんと?!

何か頭の片隅で

パチンっと音がなった気がした。

どうやら、今、まさに

『孫育て』への布石が一つ

打たれたぞ

主人の顔を見れば

もう、にこにこ顔で

「あなた、寂しくならなくて済みそうだよ」

だなんて

そんなことになったら、

絶対に貴方も道連れだからねっ!

などと思ってしまった。

 

まぁ、まだまだ先のことだから

どうなるかなんて

全くわからないけれど

取りあえず

我が友人に

子育てに加え

孫育てについても

教えを乞おうと思う。

 

そして、

子育ての忙しさを

調整することは

難しいけれど

孫育ては

出来れば、

緩やかな忙しさを

目指してゆきたいと

思う次第であります。

 

 

最後までお付き合いいただき

ありがとうございました。