他人(ひと)の子と自分の子、そして自分

おはようございます。

かざねっこです。

今日の題名は

『他人(ひと)の子と自分の子、そして自分』です。

ごゆるりとお付き合いいただけたら、嬉しいです。

 

夜中に目が覚める。

の授乳をして

トイレへ行く。

帰ってくると、ほんのわずかの間に

自分の布団が子供に占領されている。

これが末っ子や真ん中の子ならば

なんとかなる。

でも、上の子となるとそうはいかない。

えいやっと転がしてみても

ごろんと戻ってくる。

足なんて、凶器のごとく振り下ろされる。

体を引っ張ってみても

私の力ではびくともしない。

仕方ないから、まだ起きている主人に声をかける。

「ごめん。この子をどかしてください」

あまりにも見慣れているから

普段は思わないのだけれど

こういうとき、「大きくなったな」と思う。

 

ある休日のお昼頃。

上の子を小学校へ迎えに行く。

通っている小学校では時折、

特別授業みたいなものがあって

希望者のみが参加する。

ただし、参加する場合は親の送り迎えが必要。

 

迎えに行くと、偶然にも

上の子が幼稚園の頃に一緒だった子達が集まっていた。

プチ同窓会である。

みんな、すらりと背が伸びて

顔つきが、すっかり、少年・少女のそれに変わっていた。

おぉ、と圧倒される。

周りには懐かしいママ友たちの顔があって

久しぶりにママ友トークをした。

 

子供と一緒に家へ帰り

主人に学校でのことを伝える。

「みんな大きくなっていて、びっくりしたよ」

興奮気味の私に主人は一言。

「他人(ひと)の子の成長は早いっていうからね」

なるほどな、と思う。

子供の一年一年の成長は本当に早い。

だから、しばらく会っていないと

その変貌ぶりについていけなくなる。

 

とある休日の夜。

夕食を早めに済ませた私は

家族に何も告げず、こっそりと家を出る。

それは大抵、ちょっとした子育て疲れを起こしたとき。

家の中ではどうしても一人になれないから。

こうやって、ふらりと外に出て

歩きながら、ゆっくりと自分と向き合う時間を作る。

日中は暑いけれど、夜はまだ涼しくて

時折、吹いてくる風が冷たくて心地好い。

どの家にも部屋に明かりが灯っている。

子供の声や笑い声なども聞こえてきて

我が家も、この明かりの一つなのだと思う。

ただ、今はちょっとだけ

家から離れてひとりになりたい。

 

しばらく歩いていると

少しずつ心のもやもやが消えていって

頭がクリアになっていく。

そろそろ帰ろうかなと家へ向かうと

近所の人に会った。

「こんばんは」の挨拶だけはそっけない気がして

「ちょっと外の空気を吸いたくなって」

と付け加える。

そこから、

「最近、お子さんたちはどう?」

と聞かれて、子育ての話。

その方には、もう大学生になる息子さんがいる。

そして、私はその子が中学生の頃から知っている。

小柄で内気そうな子だった。

でも、最近久しぶりに見かけたら、

誰だか全く判らなかった。

背がうんと伸びて、すっかり大人になっていた。

そんなことを話をしていたら、ちょうど息子さんが帰ってきた。

息子さんに挨拶をする。

「今、ちょうどあなたの話をしていたのよ」

と息子さんに説明をされるので

「そうそう。昔はこんなに小さかったのにって」

と私が補足する。

息子さんが私たちの言葉に「いえ、いえ」と照れる。

そう。

私はこの子が中学生の、

あの小さな時から知っている。

その思った途端、急にある光景が

私の頭の中にパッと浮かんできた。

母がいて、近所のひとがいて

「まぁ、あなた、すっかり大きくなって」

なんて言われて

私はなんとも気恥ずかしい気持ちで

母の隣に立っている光景。

そうか、私は今

あの頃と同じ光景の中にいるのだ

と思った。

でも、違うのは私の立ち位置だ。

私は今、母と同じ側にいる。

そう思ったら、急に自分が

随分と歳を取った気がして

でも、そのことをすぐにはうまく

受け入れられない自分がいることに気がついた。

私は心の内の動揺を知られたくなくて

別れの挨拶をしてその親子の元を去った。

背中からは、まだ

息子さんと楽しげに話している声が聞こえてきた。

その声を聞きながら、

もし、我が子達が大きくなっても

ああして話せるような関係でいられたら

今持て余しているこの感情を

受け入れることができるのだろうか

と思った。

そして、願わくば、

そうであってほしいと祈った。

 

 

 

本日もお付き合いいただき

ありがとございました。